365 New Days

人生の主導権はあなたにある

競争ばかりの社会で、私はラクに生きたい

 

 

 

今回は行き過ぎた競争・比較について考えてみます。

 

 

皆さんは競争が好きですか?

 

 

 

私は多分、小さい頃のかけっこや背比べは好きだったと思います(笑)

 

 

しかし、成長するにつれ、競争することがしんどくなってきました。

 

 

勝ち負けで順位が決まること、それはとってもわかりやすい仕組みではあるけれど負けたときは劣等感でいっぱいでした。

 

 

 

早ければ、小学校受験などで競争を経験してきた人もいるはず…

 

 

私も高校・大学受験では身近に競争するということを体感しました。

 

 

受験以外にも、例えば友達なのに競争心を持つことがあると思います。

 

 

私には彼氏がいないのに、あの子にはいる。

私はブランドをたくさん持っているけれど、周りの子は持っていない。

 

 

 

このような競争心はすべて"人と比べること"を出発点としていると思います。

 

どうして私たちはすぐに人と比べたがるのでしょうか。

 

 

 

それは"自信がないから"だと思います。

 

 

自分に自信が持てないため、他人よりも優れている部分を探し安心しようとしているのではないでしょうか。

 

 

しかし、時には人を蹴落とし、悪く貶めてまで自分を持ち上げようとしていませんか?

 

 

 

私はあります。

 

そしてこれは誰でもやってしまう当たり前の考え・行動であると思います。

 

 

多くの人は自己肯定感がそこまで高くないと思います。

 

 

多くの人は真面目であるため、結果が具現化されるまで無条件では自分を認めることができません。

 

 

そのため分かりやすい方法で他人と自分を比較し、自分を認めてあげられるようにセッティングしているのだと思います。

 

 

 

しかし、それが行き過ぎては逆にそんな自分をみじめに思う時がくるでしょう。

 

そもそも誰かや何かと比較したときにしか自分を認められなくなると、比較をやめられなくなってしまいます。

 

 

では、どうしたらいいのでしょう…

 

 

 

まず、私は自分と自分を比べます。

 

そして、究極を言えばそれさえ辞めてもいいことなのだと思います。

(自分と自分の比較に疲れるのは、それが本当に続けたいこと・頑張りたいことではない証拠だから)

 

 

比較の対象を他人にすると原動力の根源他人に見出すことになります。

 

つまり、相手がやる気を出せばそれに応じてやる気を出すだろうし、逆もまたしかり。

 

 

あれれ…なんだか相手に振り回されていますね。

 

 

それを自分に変えてみましょう。

 

自分の中で原動力の根源を見出そうとします。

 

自分とは比較しようとしている自分と同じ人間であるため、他人が起こす予想外のキッカケなどはないでしょう。

 

 

 

分かりやすく例えると、体重です。

 

他人と体重を比べようとします。

Aさんは50キロ、自分は60キロだとしましょう。

 

他人と比べているうちはあなたは50キロになろうと焦るでしょう。

頑張ってしまうでしょう。自分は負けていると思うでしょう。

 

やっとの思いでダイエットし、50キロには到達しました。

 

しかし、Bさんが目の前に現れました。

Bさんは45キロです。

 

Bさんの登場は予想外でしたが、現れてしまったからには競争心が芽生えてしまいました。

あなたは45キロになろうと再び焦るでしょう。

 

そして45キロに到達したとき、気付くのです。

周りには42キロの子も、37キロの子も、自分より痩せている子がたくさんいたことに。

 

一つ達成しようと、また一つ勝たなきゃいけないものが見えてきて、終わりがないということに。

 

そして、あなたは自分が求める体重などとうに忘れてしまい、何にも満足できなくなってしまうのです。

 

 

さて、もともとあなたは60キロでしたが、終わりのないレースを続けた結果30キロになってしまいました。

 

ここまでくるとあなたに勝てる者はほとんどいないでしょう。

 

しかし、好きだった食べることは今では苦痛になり、顔もこけてしまいました。

 

思っていたほど、賞賛も得られず、まだまだ人の目を気にしています。

 

それはあなたが他人を原動力の根源としていたからです。

 

 

 

あなたは悩みました。

この競争はわたしを幸福にしてくれのだろうか…と。

 

その結果、一つの気付きを得ました。

 

自分と他人の幸せや充足の基準が全く同じではないということ。

 

その状況で競争、比較を続けると自分の幸せの軸が他人によりぶれてしまうということ。

 

 

あなたは他人と比較するレースは今日で引退です。



思い切って他人を自分に変えてみたのです。

「自分は一人しかいないのだから、予想外ということはそれほどない」という確信のもとに。

 

 

すると、どうでしょう。

 

あなたが比較するのは以前の自分だけになりました。

 

あなたは痩せすぎて疲れやすくなった体をもとに戻したいと思うようになりました。

 

徐々に食べられるようになったあなたどんどん体重がもとに戻っていきました。

 

しかし、60キロはちょっと太っていたかなとも思いました。

 

それなら55キロくらいをまずはキープしてみようかな。

 

あなたは55キロをしばらくの間キープすることができました。

 

もちろん前のように40キロの人と比べることをやめたので、そんな無理はしませんし、いろんな人がいるけれど自分はその人とはちがうということを受け入れられるようになりました。

 

また少しして、あなたは理想の53キロまで頑張って痩せようと思いました。

 

このときあなたが比べているのは紛れもなくあなた自身になっていました。

 

そして自分の決めた目標を、自分のペースで達成し、53キロに到達しました。

 

 

 

しかし、あなたは新たに疑問を持つようになりました。

 

他人と比べるのをやめて、ずいぶん楽になったけれど、今度は自分自身の比較に縛られているのではないかと。

 

 

そうなんです。

 

これまた厄介なことです。

 

しかしこのマイナスの疑問は、以前の記事の何かを頑張るときの動機によって解決できると思っています。

 

 

chirochironoblo9.hatenablog.com

 

 

つまり、自分自身と比較して今していることが苦しく感じるのは頑張りたいと思う気持ちの出発点に原因があると思います。

 

そうでなければ、苦に思うことはないでしょう。

 

 

長くなりましたが、この例え話のような状況は簡単に陥ってしまうものです。

 

私は他人と自分を比較し、劣等感を抱き続けてきた一人です。

 

 

そんな私がどのようにして、競争ばかりの社会をうまく生きていっているのかということを書いてみました。

 

もちろん、他人と比較したことでプラスの結果が生まれることはたくさんありますよね(^^)

 

しかし、行き過ぎた比較は、あなたの心縛っていませんか?

 

 

そんなことを見つめ直せるきっかけになれたらうれしいです。

 

 

それでは、また。

ここまでお読みいただきありがとうございました(^^)