365 New Days

人生の主導権はあなたにある

「食べることが怖い」 摂食障害の4年間を振り返って

 

 

今回は、前回の記事で少し触れさせていただいた、摂食障害について話していきたいと思います。

 

 

私は中学2年生~高校2年生まで約4年間、摂食障害でした。

(この病気ははっきりと完治というの難しいので、心の問題は含まない期間とします。)

 

 

皆さんは、摂食障害という病気をご存知でしょうか。

 

おそらく、多くの方が病名だけでも耳にしたことはあるかと思います。

 

 

しかし、摂食障害と、ダイエットや食べ過ぎの線引きって難しいですよね…

 

私はこれらを分けて考えていますが、そのキーワードとなるのが"自制"です。

 

 

前者は、自制することがほとんど困難です。

 

後者は、強く意思を働かせることではじめたり、やめたりできると考えております。

 

 

 

私も最初はただのダイエットをしていました。

 

ダイエット前の私は164センチ、54キロでした。

標準が56~58キロだったと思うので、体重的には問題ありませんでした。

しかし、見た目と数値は別物で、足はパンパン、顔もまんまるでした…

 

 

もともと、自分のことが好きではなかったので

痩せたら自信がつくかも…!

周りに褒めてもらえるかも…!

と思い、軽い気持ちで始めました。

 

 

これはまさに前回の記事で話した承認欲求から生まれる動機ですね…笑

 

 

私は食事制限と、運動をしてダイエットをはじめました。

 

すると、さっそくするすると3キロほど落ちました。

 

勢いづき、目標の49キロもクリア。

 

 

しかし、このときすでにまともに食べずに生活していたため、徐々に食事に対する恐怖心が生まれました。

 

 

友人と遊んでいても、お菓子が食べられない。

 

友人とのランチが怖くていけない。

 

 

 

これはいわゆる拒食症の症状です。

 

 

しかし、極度の食事制限に疲れ、極度の食欲が湧いてきました。

 

 

もちろん、食べれば太ります。

 

でもそれは必要なエネルギー分だから、太るというよりは戻るという工程だったのです。

 

太るという恐怖心が私を襲いました。

 

 

そして、リバウンド後、再び痩せようと思ったとき、私は大量に食べ、すべてを吐き出す、過食嘔吐をするようになりました。

 

 

痩せたいから吐くというより、吐きたいから食べまくる、そんな心境でした。

 

 

このように拒食型→過食型→過食嘔吐摂食障害の症状が変化していくことはよくあることです。

 

矢印の部分を回復期と呼び、そのまま病気を克服することもあります。

 

 

しかし、私は過食嘔吐型になってから約3年間のうち、吐かなかった日は数えきれる程度でした。

 

過食費にお小遣いはすべて消え、友人と遊ぶこともなくなり、部屋にこもっては一日に5~6回、過食行為を繰り返していました。

 

 

気持ち悪いと思われる方、楽そうなダイエットと思われる方、さまざまかと思いますが、もしこの4年間の日々を最初から知っていたなら、決してこの選択はしなかったと思います。

 

 

ここからは摂食障害が私に与えた悪影響とどのように病気を克服していったかを話していきます。

 

 

まず、摂食障害による悪影響を挙げてみます。

 

 

虫歯が増える

 
これは嘔吐によって胃液などの酸に歯が徐々に弱められていくためです。実際に、歯の神経を抜かなくていけなくなりました。
 

不眠症になる

 
原因の一つは痩せすぎにより背骨がベッドと擦れていました。また、重点は腰一点だったため腰痛にもなりました。
二つ目は極度の不安状態から毎日金縛りにあいました。数回の金縛りの後に疲れて寝ている状態だったので、毎日3~4時間ほどの睡眠でした。
 
 

思考力低下

 
常に食べ物や体重のことを考えているので、他のことに興味も湧かず、同じことばかり考えていました。授業を聞いていてもボーっとしているだけでした。
 
 

めまい、立ち眩み

 
夏でも水分をとることが怖かったので、脱水症状でしょっちゅう倒れていました。部屋に戻ろうとしたら姉の部屋に頭から突っ込んでいたそうです…苦笑
 

月経不順

 
急激な体重の増減により、約一年間月経は止まってしまいました。
 

自己否定感の増大

 
過食嘔吐の時は自己否定感が強すぎてしんどかったです。そもそも、普通の人が当たり前にできることができない。頭ではいけないことだ、失礼なことだとわかっていても繰り返してしまう。そんな自己否定感が常にありました。
 

家族関係の悪化

 
摂食障害になって一番しんどかったことが家族関係が悪化したことです。そりゃ、親からしたら我が子が激変する姿は受け入れがたいですよね…
 
私の場合、両親ともに信じたくないようでひたすら吐くたびに叩かれ怒られていました。約6回ほどお叱りを受けましたが、当然自分の意思ではやめることができなかったのです。それは、体重こそがわたしのすべてだったからです。
 
例えば、あなたが何にも無駄使いせずに貯金を1000万したとします。
そのお金を使えと言われてもなんだか気が進まない。
1万使ってしまえば貯金は999万になってしまう。
 
数字へのこだわりを持ってしまうのです。
 
そんなふうに私は体重へのこだわりを強く見せました。
 
両親は摂食障害は甘えだといいました。
病気のふりをして、楽しようとしているといいました。
 
もちろん、そうだとも思えるでしょう。
努力せずに痩せれるから。
 
 
しかし、私はとっくに美しい痩せなど超えていたのです。
 
病院に連れて行ってもらえないため、症状は悪化していくばかり…
親はますます焦り、親子関係は最悪でした。
 
 
転機が訪れます。
 
というか、訪れさせました…(笑)
 
私がついに家出をしたのです。
 
さすがに親もこれには黙っていられず、帰宅後に家庭崩壊しました(+_+)
 
それから数か月学校を休みました。
 
無理やり食事もとらされました。
 
しかし、私の中で心境の変化が起きました。
 
 
なんのために今まで頑張ってたんだろう、と思うようになったのです。
 
さぁ、記事を遡ってください。
 
痩せたら自信がつくかも…!
周りに褒めてもらえるかも…!
 
 
あれれ…めっちゃ逆の結果になっとるじゃないですか!!!
 
 
そう思った瞬間、自分の中の自分が死んだというか、逆に言うなら今からスタートだと思ったんです。
 
 
 
 
 
 
ここからはどのように病気を克服していったかを話します。
 
 
それは、体重以外に自分を追及できるものを探しました。
 
恐ろしい経験をしたからこそ、こだわりをもつなら自分や周りにとって害のないものにしたいと思いました。

 

中学時代、病気で精いっぱいでおろそかにしていた勉強をはじめました。

 

すると、徐々に数値が高くなるではありませんか…!

 

 

数値化される結果って、わたし的にはありがたかったんですよね。

体重がそうだったから、やりやすかったというか。

 

 

こうして、勉強にのめりこんでいき、徐々に病気の症状は緩和されていきました。

もちろん食べられない日もありました。

 

でも、それはそれでいいんじゃないか。

 

誰でも毎日完璧に生きることはできないのではないか。

 

と、あまり気にしないようにしていました。

 

 

だんだん、友人との食事も心から楽しめるようになりました。

後先のことなんか考えないで間食ができるようになりました。

 

 

そして、体重も一定値から大きな変動もなくなりました。

 

大学生になった今では、バイキングに行けるようになったり、水分をたくさん摂ることもできるようになりました。

 

親とは当時のことは暗黙の了解で触れないことになっていますが、病気関連で言い合いになることはなくなりました。

 

 

最近では、飲食店でアルバイトをさせてもらえるようになり、より一層食べるという幸せを共有できる場所に恵まれました。

 

 

 

このように今では振り返ることもできるようになりましたが、今でも摂食障害の方はたくさんいますし、苦しんでる方もいらっしゃると思います。

 

この記事が当事者の方の共感になったり、周りの方の理解に繋がればいいなと思います。

 

摂食障害って、こんな病気なんだと知っておけば、なにか役に立てる場面があるかもしれないですね。

 

 

今回は当事者によるただの体験談です(^^)

無理は禁物、適度が案外ステキなのかもと思えるようになった話でした。

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました(^^♪

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

競争ばかりの社会で、私はラクに生きたい

 

 

 

今回は行き過ぎた競争・比較について考えてみます。

 

 

皆さんは競争が好きですか?

 

 

 

私は多分、小さい頃のかけっこや背比べは好きだったと思います(笑)

 

 

しかし、成長するにつれ、競争することがしんどくなってきました。

 

 

勝ち負けで順位が決まること、それはとってもわかりやすい仕組みではあるけれど負けたときは劣等感でいっぱいでした。

 

 

 

早ければ、小学校受験などで競争を経験してきた人もいるはず…

 

 

私も高校・大学受験では身近に競争するということを体感しました。

 

 

受験以外にも、例えば友達なのに競争心を持つことがあると思います。

 

 

私には彼氏がいないのに、あの子にはいる。

私はブランドをたくさん持っているけれど、周りの子は持っていない。

 

 

 

このような競争心はすべて"人と比べること"を出発点としていると思います。

 

どうして私たちはすぐに人と比べたがるのでしょうか。

 

 

 

それは"自信がないから"だと思います。

 

 

自分に自信が持てないため、他人よりも優れている部分を探し安心しようとしているのではないでしょうか。

 

 

しかし、時には人を蹴落とし、悪く貶めてまで自分を持ち上げようとしていませんか?

 

 

 

私はあります。

 

そしてこれは誰でもやってしまう当たり前の考え・行動であると思います。

 

 

多くの人は自己肯定感がそこまで高くないと思います。

 

 

多くの人は真面目であるため、結果が具現化されるまで無条件では自分を認めることができません。

 

 

そのため分かりやすい方法で他人と自分を比較し、自分を認めてあげられるようにセッティングしているのだと思います。

 

 

 

しかし、それが行き過ぎては逆にそんな自分をみじめに思う時がくるでしょう。

 

そもそも誰かや何かと比較したときにしか自分を認められなくなると、比較をやめられなくなってしまいます。

 

 

では、どうしたらいいのでしょう…

 

 

 

まず、私は自分と自分を比べます。

 

そして、究極を言えばそれさえ辞めてもいいことなのだと思います。

(自分と自分の比較に疲れるのは、それが本当に続けたいこと・頑張りたいことではない証拠だから)

 

 

比較の対象を他人にすると原動力の根源他人に見出すことになります。

 

つまり、相手がやる気を出せばそれに応じてやる気を出すだろうし、逆もまたしかり。

 

 

あれれ…なんだか相手に振り回されていますね。

 

 

それを自分に変えてみましょう。

 

自分の中で原動力の根源を見出そうとします。

 

自分とは比較しようとしている自分と同じ人間であるため、他人が起こす予想外のキッカケなどはないでしょう。

 

 

 

分かりやすく例えると、体重です。

 

他人と体重を比べようとします。

Aさんは50キロ、自分は60キロだとしましょう。

 

他人と比べているうちはあなたは50キロになろうと焦るでしょう。

頑張ってしまうでしょう。自分は負けていると思うでしょう。

 

やっとの思いでダイエットし、50キロには到達しました。

 

しかし、Bさんが目の前に現れました。

Bさんは45キロです。

 

Bさんの登場は予想外でしたが、現れてしまったからには競争心が芽生えてしまいました。

あなたは45キロになろうと再び焦るでしょう。

 

そして45キロに到達したとき、気付くのです。

周りには42キロの子も、37キロの子も、自分より痩せている子がたくさんいたことに。

 

一つ達成しようと、また一つ勝たなきゃいけないものが見えてきて、終わりがないということに。

 

そして、あなたは自分が求める体重などとうに忘れてしまい、何にも満足できなくなってしまうのです。

 

 

さて、もともとあなたは60キロでしたが、終わりのないレースを続けた結果30キロになってしまいました。

 

ここまでくるとあなたに勝てる者はほとんどいないでしょう。

 

しかし、好きだった食べることは今では苦痛になり、顔もこけてしまいました。

 

思っていたほど、賞賛も得られず、まだまだ人の目を気にしています。

 

それはあなたが他人を原動力の根源としていたからです。

 

 

 

あなたは悩みました。

この競争はわたしを幸福にしてくれのだろうか…と。

 

その結果、一つの気付きを得ました。

 

自分と他人の幸せや充足の基準が全く同じではないということ。

 

その状況で競争、比較を続けると自分の幸せの軸が他人によりぶれてしまうということ。

 

 

あなたは他人と比較するレースは今日で引退です。



思い切って他人を自分に変えてみたのです。

「自分は一人しかいないのだから、予想外ということはそれほどない」という確信のもとに。

 

 

すると、どうでしょう。

 

あなたが比較するのは以前の自分だけになりました。

 

あなたは痩せすぎて疲れやすくなった体をもとに戻したいと思うようになりました。

 

徐々に食べられるようになったあなたどんどん体重がもとに戻っていきました。

 

しかし、60キロはちょっと太っていたかなとも思いました。

 

それなら55キロくらいをまずはキープしてみようかな。

 

あなたは55キロをしばらくの間キープすることができました。

 

もちろん前のように40キロの人と比べることをやめたので、そんな無理はしませんし、いろんな人がいるけれど自分はその人とはちがうということを受け入れられるようになりました。

 

また少しして、あなたは理想の53キロまで頑張って痩せようと思いました。

 

このときあなたが比べているのは紛れもなくあなた自身になっていました。

 

そして自分の決めた目標を、自分のペースで達成し、53キロに到達しました。

 

 

 

しかし、あなたは新たに疑問を持つようになりました。

 

他人と比べるのをやめて、ずいぶん楽になったけれど、今度は自分自身の比較に縛られているのではないかと。

 

 

そうなんです。

 

これまた厄介なことです。

 

しかしこのマイナスの疑問は、以前の記事の何かを頑張るときの動機によって解決できると思っています。

 

 

chirochironoblo9.hatenablog.com

 

 

つまり、自分自身と比較して今していることが苦しく感じるのは頑張りたいと思う気持ちの出発点に原因があると思います。

 

そうでなければ、苦に思うことはないでしょう。

 

 

長くなりましたが、この例え話のような状況は簡単に陥ってしまうものです。

 

私は他人と自分を比較し、劣等感を抱き続けてきた一人です。

 

 

そんな私がどのようにして、競争ばかりの社会をうまく生きていっているのかということを書いてみました。

 

もちろん、他人と比較したことでプラスの結果が生まれることはたくさんありますよね(^^)

 

しかし、行き過ぎた比較は、あなたの心縛っていませんか?

 

 

そんなことを見つめ直せるきっかけになれたらうれしいです。

 

 

それでは、また。

ここまでお読みいただきありがとうございました(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラックアルバイトの沼 一言の勇気

 

 

 

 

今回はブラックアルバイトをやめることができなかった自身の体験談を話していきたいと思います。

 

ブラックアルバイトの基準は何によって測れるのでしょうか?

 

私がかつてのアルバイトをブラックアルバイトだと思った基準は…

 

 

です。

 

私は約半年間ですが、塾講師としてアルバイトをしていました。

 

そこはオープニングスタッフ募集の教室でした。

 

私の勤めていた会社は各教室に社員は一人、多くても二人でした。

 

私は教室のリーダーに任命され、とてもやる気に満ちていました。

 

しかし、徐々に仕事に疑問を持つことになります。

 

 

①規約と違う労働環境

 

最終コマは本来なら21:20に終わるので、早ければ40には退社できるはずでした。

 

しかし、実際は会議やカルテチェックという各教室が独自に実施している諸業務に参加を強いられました。

 

内容はというと、「これやる必要ある?みんな(ほかの講師)はやる意図をわかってるのかな…」と正直、自己満足としかいえないものでした。

 

リーダーは全体会議とは別に、リーダー会議があるので特に業務時間が長かったです。

 

 

②労働に見合わない給料

 

多くの塾では時給ではなく、コマ給で給料を支払います。

 

例えば、1コマ90分 1200円 なら 時給換算では800円ということになります。

 

私の塾では時給換算すると研修中は958円スタートでした。

 

本採用になっても1000円です。

 

その他の作業には作業給がつけられましたが、ほとんど申請している講師はいなく、とても申請しにくかったです。

 

また、先ほどの終電まで繰り広げられる会議なども深夜料金なども存在せず、数百円で働かされていました。

 

仕事が終わり、家に帰るのは日付が変わったあと。

 

つぎの日の授業に出られないことが増えていきました。

 

また、体調を崩しても代わりがいないので出勤を強いられました。

そのせいで一時期軽い喘息を発症してしまいました。

 

③洗脳

 

ブラックアルバイトだと思った一番大きな理由洗脳です。

 

各教室に上司が一人しかいないため、その人の思うように教室が動いていたと思います。

 

私は彼と最初はうまく関係が築けていたと思います。

 

しかし、私が働いた分の作業給を申請していたところ「これは申請しすぎ、本当にそんなに仕事してるの?」と言われました。

 

ほかの講師には笑いかけるのに、私には明らかに冷たかったです。

 

また、リーダー会議でもわたしは意見をしていただけなのに「見えてこないんだよね、その先が」と言われました。

 

当時、体調も悪く、講師としての役目が果たせていないのではないかと悩んでいました。

 

そんなとき彼は「なにに悩んでるの?根本は?自分でわかってないの?自分で勝手に悩みを作っているんじゃないの?」と言われました。

 

私は泣くことしかできませんでした。

 

しかし、授業を待っている生徒さんがいる。

そう思うとつらくてもやめようとは思いませんでした。

 

彼の言動は日に日に悪化するばかりでした。

 

鍵開け・鍵閉めは講師に任せ、勤務中にたばこを吸いにいくなど…

 

 

極めつきは、過去の恋愛の自慢話、明らかな夜の話をしてきました。

 

本当に気分が悪くなりました。

 

また、うまく業務がこなせないと「キャパが狭い、俺なら余裕だけど」「そのくらいで休めっていう親はどうなの、俺の親なら頑張れっていうよ」など言われ続けました。

 

 

この時、私は気付きました。

 

大学でも、家でも、"塾の悪口しか言っていない"ということに…

 

 

なんて勿体ない時間なんだろう、そう思ったのです。

 

 

そして、夏休み前にいつものごとく説教をされたあと、勇気をだして「私やめるんで」と言い放ちました。

 

 

すると、仰天した様子の上司(笑)

 

 

さすがにこの時は私もスッキリしましたね(^^)

 

 

続けて、「これからの人生も逃げるんだね」「人に迷惑かけるとか思わなかった?」「何もこれから頑張りたいこともないのに?」と言われました。

 

 

しかし、言ってしまったからにはこちらも引けません。

 

 

「私は辞める=逃げるとは考えません。辞めたくなるくらい辛いことを続けたいという気持ちがありません。もちろん生徒さんには申し訳ないと思いますが、きちんと説明をし、残り一か月は業務を全うします。頑張りたいことが見つからないくらい働いてしまった結果なので、これから自分の人生にも考えていける時間を作ります。」

 

 

と返しました。

 

 

は~~~~~スッキリしました!!!!

 

そして、心に誓ったのです。

 

どんなに待遇がよくても、塾業界ではアルバイトをしないと…

 

もちろんホワイトな塾もたくさんありますが、もうトラウマになってしまったのです(笑)

 

それに職種を変えて、気持ちを切り替えたかったのです。

 

 

それから新たなアルバイト探しでは前回の不満を改善できるような条件の場所を選びました!

 

今は楽しく働かせていただいています。

 

友人や親からも笑顔が増えたね、と言ってもらえるようになりました。

 

そして、「ああ、これが普通の労働環境か…」と常々実感しています(笑)

 

 

皆さんもブラックアルバイトやブラック企業にお勤めでしたら、自分の心は泣いていないか確認してあげてくださいね。

 

 

我慢することは悪いことではないです。

 

しかし、何事も程度が大切なのです。

 

その我慢は本当に必要ですか?

 

 

意外と自分の代わりってたくさんいるし、自分も始めてみちゃえば得意なことって他にもいくつかあると思います。

 

 

続ける勇気辞める勇気は、使い分けて心を生きやすくしていただきたいです。

 

 

 

私の体験談でした!

 

 

それでは、また(^^)

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

大学1年生が100万円貯金を成功させた3つの習慣

 

 

 

 

今回は、私が100万円貯金を成功させた3つの習慣を紹介していきます。

 

 

 

皆さんは月にどのくらい貯金をしていますか?

 

実は1円もしていない…なんて方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

それが悪いことだとは思いませんが、何かあったときに貯金は自分を助けてくれる資金になります。

 

 

結論から申し上げますと、貯金は考え方次第で簡単にできます。

 

それでは、3つの習慣について触れていきたいと思います。

 

 

 

 

1.欲しいものと必要なものを分けて考える

 

貯金とはお金を貯めるだけの行為を指すのではなく、貯金にまつわる考え方を含めて捉えてみましょう。

 

お金を使う=何か(サービス、モノ)を買う

 

ということが大半だと思います。

 

それではその"何か"とは本当に必要なものなのでしょうか?

 

それはもしかしたら足りているけれど、欲しいものではないでしょうか?

 

 

 

例えば、気に入った服があったとします。

 

その服に似たデザインが家のどこかに眠っていないか、その服は今月何枚目かを考えます。

 

そして、迷ったら買わない!を徹します。

 

家に帰り、数日…いや1週間以上はその服のことを考えてしまう…

 

そこでやっとその服を買おうという選択に至ります。

 

こんなこと?と思うかもしれませんが、これが効果抜群!!

ぜひ、今日からはじめてみてください(^^)

 

2.家を掃除する

 

これは1つ目とやや重複しますが、家に何があるかを把握していないと余計にモノを多く買ってしまいます。

 

多くなるだけではなく、逆に何が足りていないのかも把握できません。

 

それなので、本当に必要なモノも買わなければいけないのに無駄なモノを買ってしまう…二重で出費しているではありませんか!!

 

部屋を片付け、「いつか着るかも…いつか使うかも…」と思ったものは大抵いつまでもそのままなので思い切って捨ててしまいましょう(笑)

 

そうことで、部屋には本当に必要なモノが残ります。

 

そして時には足りないものも見えてくるでしょう。

 

その足りないモノにお金を使うことは健全ですので、どんどん使いましょう!

 

 

3.月に収入の20%を貯金 収支のコントロール力を養おう

 

 

最後は、もっとも実践的な習慣です。

 

実際に私はこれを徹底し、高校から3年間で100万を貯めることに成功しました。

 

 

これはとても簡単なことで皆さんの月の収入の20%を貯金するということです。

 

例えば

 

私の月の収入が10万だとすると

2万→貯金

8万→自由

 

ということです。

 

そこで、この習慣にはポイントが2つあります!!!

 

このポイントを守れば、99%成功するでしょうと言いたいところです(笑)

 

 

 

 

 

ポイント① 口座を2つ作る

 

1.収入が振り込まれる用

2.貯金用

 

です。

 

毎月、収入が振り込まれる用から20%を引き出し、貯金用に振り込んでください。

 

これは自制心がない人でも「足りなくなったら使えばいいや」という考えから「この口座のお金は引き出し禁止だから、なんとかやりくりしよう!」という考えにさせてくれます。

 

ポイント② 振込は給料日当日に

 

これは実は肝心なことです。

 

10万のうち2万か…8万は使える!と頭で計算し、月末まで2万も同じ口座に入れていてはダメです!

 

それは手持ちを10万と錯覚してしまうためです。

 

そのため話は戻りますが、無駄使いをしてしまうことにもなります。

 

 

20%に慣れてきたら、どんどん比率をあげていきましょう!

私も雑費が少ない月は3~40%貯めることにしています!

 

 

 

以上が、大学生が(ほぼ高校在学中)に100万円貯金をさせた3つの習慣です。

 

 

よく何に使うの?と言われますが、何かあったときに使います!笑

 

 

皆さんもぜひお試しくださいね♪

 

うまくいったよという方や私はこんなやり方で貯金してるよなどがありましたらご気軽にコメントくださいませ!

 

 

それでは、また。

ここまでお読みいただきありがとうございました(^^)

 

 

 

 

 

 

何をしても続かない人へ 頑張れない原因は思考回路にあった

 

 

今回は何をしても続かない人向け…!

"頑張りたい気持ち""頑張れない気持ち"について話していきたいと思います。

 

 

誰にでも、一度はなにかを頑張ろうと思ったことはあるかと思います。

 

例えば、テストでいい点を取ろうとか、仕事でいい成績を出そうとか…

 

 

私は数えきれないほど頑張りたいと思ったことがあります。

 

 

しかし、それは"思った"だけでした。

 

 

というのも、私は俗にいう三日坊主タイプの人間で、なにかはじめてもすぐに飽きてしまう性格でした。

 

 

そんな私でもいくつかのことはある程度、頑張れていたのではないかと思うこともあります。

 

 

そのうちの一つが勉強です。

 

私は小中は公立の学校に通っていました。

 

成績も至って普通…というよりはむしろ悪かったです。

(課題のワークは答えを丸写ししていました…)

 

 

しかし、あることから勉強に目覚め、高校は中堅?私立高校に進学しました。

勉強に目覚めたキッカケについては、また記事を書こうと思います!

 

入学当初、三教科の平均偏差値は40くらいでした…

 

受験直前にはなんとか平均60くらいまで上げることができました。

 

そして、受験でなんとか合格をいただけたので、今は駅伝で有名な私立大学に通っております。

 

 

 

 

二つ目は、ダイエットです。

 

 

 

私は、身長が高い方なので本来、自分的に体重がある程度あったとしても標準体重です。

 

 

 

しかし、中学二年生、思春期の私は周りの女の子がスラっと痩せていることが羨ましかったです。

 

 

また当時はまだ勉強にも目覚めていませんでしたから、頑張っていることがありませんでした。

 

 

ダイエットは数値化できるので、達成も分かりやすいと思い、始めることにしました。

 

 

私は前まで完璧主義で、何事もはじめたからには成し遂げたいと思うタイプでした。

 

 

その思いから、とっくに余分なところは落とし終わっていたのにもかかわらず、ダイエットを続けてしまいました。

 

 

 

気付いたとき、私は標準体重から15キロ以上も痩せてしまっていました。

 

 

私は摂食障害になってしまっていたのです。

このことについては、また別に記事を書きたいと思います。

 

 

 

 

人生である程度頑張ったことといえば、この二つくらいです。

 

それは、目標も達成も分かりやすいことだからだと思います。

 

 

 

普段、頑張りたい気持ちを抱いても、途中で諦めてしまったり、別のことを始めてしまい両立できなくなってしまったりしていました。

 

そういう自分にいつも嫌気がさしていました。

 

しかし、考えてみてください。

 

 

 

私はそんなに多くのことを本当に頑張れるのでしょうか。

 

そんな多くのことを頑張る必要があるのでしょうか。

 

そもそも、なぜ頑張ろうとするのでしょうか。

 

 

 

このように考えたとき、私は必要以上に頑張ることをやめました。

 

 

私の頑張りたい気持ちの根本には、誰かに認めてもらいたいという気持ちが強くありました。

 

 

 

しかし、この動機では目的(認めてもらいたいという気持ちの充足)の達成は不十分でした。

 

 

 

一つ目の勉強に関しては、大成功でした。

親から先生から友人から祝福を受け、皆が私の努力を認めてくれていたと思います。

 

 

 

反対に、二つ目のダイエットに関しては大失敗でした。

家族関係の悪化、後遺症に苦しむ日々が続き、自分のことも幾度と責めました。

 

 

 

二つとも誰かに認めてもらいたいという思いが過剰に働いた結果ですが、吉と凶と結果は大きく変わりました。

 

 

このことを今振り返って思うことは、頑張りたい気持ちの動機は承認欲求ではなく、自らが抱く向上心や、自己否定感から自己肯定感への変換であるべきだと思います。

 

 

承認欲求と何がちがうの?と思うかもしれません。

 

 

この相反の動機は、自立という点で大きく違うように思います。

 

 

承認欲求から何かを頑張ろうとした場合、達成された場合には良いが、達成されなかった場合、相手と自分の両者を責めることになります。

 

 

 

例えば、あなたが子供だとします。

 

毎日、夕食の皿洗いを母は面倒に思っています。

 

この皿を自分が洗えば、母は楽をすることができます。

 

1)承認欲求が動機の場合

 

【動機】

母に褒められたい、いい子と思われたい→皿洗いをする

 

=母からの返し(褒め言葉、見てくれているという実感、対価)を無意識に求めている。

 

この返しが返ってこない場合→承認してくれないという事実が目的の達成を阻み、皿洗い以外にも認めてもらえそうなことをはじめる(ここでの目的の達成とは"母からの承認"であるため)

 

この結果、自分の能力以上の役割を背負うことになり、それが日常化してしまう。

そのため、認められたいという目的の達成はあいまい化するし、目的の達成の主役が相手(ここでは母)になるため相手の都合に振り回される。

 

 

2)向上心や、自己否定感から自己肯定感への変換が動機の場合

 

【動機】

今まで家事をしたことがなく(自己否定感)、家事を覚えたい(自己肯定感、向上心)→皿洗いをする

 

~から、~のためにといった相手が存在しないため、シンプルにここでの目的の達成は皿洗いの習得になる。

 

たとえ、母にお礼を言われなくても、見てくれていなくても、母に認めてもらうことが目的ではないので気にする必要がないと割り切ることができる。

 

母がお礼を言ったり、見てくれていたとしたら、それはオプションと考えることができる。

 

自らによる自分の成長+オプション(他人からの評価)と捉えられる。

 

 

 

 

以上が、私が考えた相反する動機による目的の達成の例です。

 

 

二つ目では子供は完全に自立した考えから、頑張りたい気持ちを抱いています。

 

 

私は、以前まで一つ目の動機から何かをはじめ、続けようとし、挫折してきましたが、今考えれば当然のことです…笑

 

頑張れない気持ちというのは、

1)一つ目の動機からはじめた

2)同時に自分の能力以上の事柄を始めて、無理をした

3)本当に頑張る必要があるか吟味しなかった

 

主に、この三つから生まれるものではないかと思います。

 

 

色々、話が膨れてしまったのですが、まとめますと

 

頑張りたい気持ちは自立心による動機のもとに由来すべきであり、頑張れない気持ちを抱くことはいたって普通のことであるということです。

 

 

 

そして、単に頑張ることが素晴らしいのではないと思います。

 

 

 

どうしてその事柄をはじめ、続け、向上、もしくは現状維持させたいのかを自分の心にきちんと納得させることが、頑張りたい気持ちを生かし、頑張ることが素晴らしいことになるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

人生、頑張ってばかりじゃ、走れません。

 

ラソン選手だって、365日、24時間走りませんし、ずっと走ろうとも思わないと思います。頑張ることが上手にできるひとほど、休息の大切さを知っているはずです。

 

 

 

頑張りたい気持ち、頑張れない気持ち、その葛藤の中で自分を成長させることができるのかもしれません。

 

 

 

 

私も、このブログはそんな風に書いていきたいなと思いました!

 

 

 

長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました(^^)

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを始めました!!

 

 

はじめまして、ちろちろです(^^)

(これ以降、一人称を私に致します。)

 

 

この度、私は初心者ながらブログを開設致しました!

 

「今の時代にブログ…?」

 

と、思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

今回、記念すべき1つ目の記事では

『私がブログを始めようと思ったきっかけ』

を話していきたいと思います!

 

 

 

文章を書くのが好き

 

私は暇さえあればTwitterInstagramに投稿をしたり、誰かの投稿を見ているようないわゆる"ネット依存症"です。

 

しかし、どうもまわりのオシャレインスタグラマーとは違うのです…

 

というのも、私の投稿は主に言葉がメインです。

なにかその時思ったことを書くのが好きであり、そして得意なことであると思ってきました。

 

もちろんTwitterでは文字数が足りず、

Instagramでは本来の用途から少し離れているような気もしていました。

 

そんなとき、思いついたのがブログでした!

 

ブログならどんなに長くてもおさめることができるし、記録にも残る。

それに、同じことを考えている方が目に留めてくれるかもしれないと思ったのです。

 

 

 

 

思っていたよりも大学が楽しくない

 

現在、大学に通っていますが、正直申し上げますと…

「こんなに楽しくないの…?」と思いました…

 

もちろん、授業にまったく興味がもてないわけでもなく、友人が一人もいないわけではありません。

 

しかし、どこかパッとしないのです。

 

もしかしたら、そういう学生の方はたくさんいるのかも…と思いますが。

 

サークルや部活にも入る気が起きず、そのままです。

そうなれば、時間も余るし、何か始めてみたい気にもなるものでした。

 

そこで、暇つぶしがてらブログを始めようと思ったのです。

 

 

 

 

人前で本音が言えない

 

これに関しては少し重たい理由かもしれませんが、皆さんは日常生活で自分の本音を素直に発言することはできていますか?

 

 

 

私は、NOです。

 

(100%言えないのかと言われれば、それもNOですが…笑)

 

どうしても、相手の顔色を伺っては、嫌がられない程度に意見するだけで、本音とは程遠いお付き合いをしています。

 

 

もちろんそれは人間関係において必要なことなのかもしれませんが、ふと誰かに本音を聞いてもらいたくなるものです。

 

 

そんな思いからもブログは、本音の場になるのではないかと思いました。

 

 

以上が、私が『私がブログを始めようと思ったきっかけ』です。

 

ジャンルは問わず、さまざまなことについて話していこうかなと

考えておりますのでよかったら読んでいただけるとうれしいです。

 

ここまで目を通していただき、

ありがとうございました!

それでは、また。